ピザの耳が好きだ、という告白。

2017.08.12

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ピザの耳が好きだ、という告白。

2017.08.12

しばらく前のことだが、ピザを食べた。
「ジェノベーゼ」という名のそのピザは、うどんのようにモチモチとした食感のピザだった。

上等な"ふとん"みたいにフンワリとした生地は、きっとパラシュートで舞い降りても、着地の際に足を痛めることはないだろう。

「かなりの衝撃でも吸収してくれるはずだ」。
うどんのようにモチモチとしていて、ふとんみたいにフンワリとしたピザ生地は、私にそのような"確信"をもたらした。

いわば当該ピザは、うどんであり、ふとんなのだ。

うどん、ふとん。うどん、ふとん。とんとんとん。

ラップのように韻を踏むと軽快だ。

ピザの「耳」を愛せるか。

現代の日本社会には、ピザの耳を食べずに残すが一定数いると言われている。

「食パンの耳を食べない派」と、人物像がかぶる。

ずいぶん前から考察しているのは、人間は年齢と共に食パンの耳が好きになってくるのではないか、ということである。

私は子どもの頃、食パンの耳をあまり食べたくはなかった。

嫌いではない。苦手だったのだ。

しかし加齢と共に、どういうわけか食パンの耳が好きになり、いまでは「耳しかいらない」。「耳こそがパンだ」。そんな心境に陥っている。

同じように、ピザの耳も苦手だったが、いまでは「耳こそがピザだ」言い切れる。

フンワリとした生地にパラシュートで舞い降りた私は、迷わず「耳」を目指すだろう。

耳こそが、ピザなのだ。

むしろピザの耳だけ売って欲しい。

「タコの吸盤だけ食べたい」。
そう思ったことはないだろうか。

「ピザの耳だけ食べたい」という欲求は、「タコの吸盤だけ食べたい」に似ている。

吸盤、あってこそのタコ。
耳、あってこそのピザなのである。

ピザの耳は、タコの吸盤。
そう、うどんがふとんであるように。

ピザの耳は、上等なふとんのように、いつも心を包んでくれる。

耳の内側にあるのは、ピザソースと「人の心」なのかもしれない。

* 画像のピザは、高知の商業施設「ひろめ市場」内、「ピザバル土佐の窯」さんのものです。

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