感度の高い人でありたい。
たとえばホオズキを見て、ああホオズキか、ではなく「綺麗な色やなぁ」。
サボテンを見て、ああサボテンか、ではなく「長いサボテンやなぁ。うどんみたいやなぁ」と思える気持ちを持っていたい、いうことです。
ただサボテンのうどんは痛いかもしれんけど。 pic.twitter.com/5Ob8xCNycG
— 竜一/うどん系生姜農家 (@Ryu_wld7) August 23, 2017
子どもの頃は、多くの人が好奇心旺盛です。
なんでもないことに興味を持って、遊んだり、はしゃいだり。
たとえば「ホオズキ」を見つけて、「これはなんだろう」と、手のひらの上にホオズキをのせて、手まりをそうするようにポンポンと弾ませてみたりするわけです。
それが大人になるにつれて、なんでもないことで声を上げて、はしゃぐことが恥ずかしいことであるように思い始めて、
「あれ興味ある。触ってみたいけどやめておこう」「ええ大人やし」。
……なんて自重するようになる。
そうして様々なものに対する好奇心を自分で抑制するうち、次第に好奇心そのものを失っていく。そんな気がするのです。
私もいつしかホオズキを見て「これはなんだろう」と思うこともなく、「ああホオズキか」で終わる大人になってしまっていた。
大人になると、さすがにホオズキを知らない、ということはないのですが、せめて「このホオズキ、綺麗な色やなぁ」。そう思える感性は持ち合わせておきたいな、と考えるのです。
そのほうが「素敵」に生きられるのではないでしょうか。
これは……。サボテンを平然と料理している感じがいいですなぁ……(笑) https://t.co/PEYu4iznEH
— 竜一/うどん系生姜農家 (@Ryu_wld7) August 23, 2017
そんな話をTwitterでする際に、「長いサボテンやなぁ。うどんみたいやなぁ」と、思える気持ちを持っていたい、と書いたら、「サボテンのうどんは実在するよ」と返信がきたのには驚きましたが……。
「すごいなぁ。サボテンのうどんがあるんやなぁ。いっぺん食べてみたいわ……」