有名な歌人「紀貫之(きのつらゆき)」を知らない人は少ないだろう。しかし高知市大津にある「紀貫之 舟出の地」は、あまり知られていないかもしれない。
西暦935年(承平5年)。いまから1,000年以上前の話。5年間の土佐守の任務を終えた紀貫之が、都に戻る際、舟出したとされる場所だ。
紀貫之 舟出の地。
「紀貫之 舟出の地」碑は、高知市立大津小学校、正門前にある。
春休み中の小学校に忍び込む、不審者・竜一。
「へっへっへ。これが噂の碑か……」
大津小学校正門前には「碑」しかないが……。
大々的なモニュメントが「舟出橋」南詰めにある。
大津小学校のすぐ南にある、舟入川(ふないれがわ)の対岸。「舟出橋」が架かるそこに、紀貫之舟出にまつわるモニュメントが設置されている。
▲ 車道。
▲ 歩道。2本の橋に分かれた「舟出橋」。
▲ 車道になった橋の下に、ひっそりと佇むモニュメント。
▲ すぐそばを走る路面電車。
「穏やかな空気が流れている。弁当を持ってきたいような場所だ……」
暫し探索する竜一。
▲ 紀貫之といえば…の「土佐日記」で詠まれた歌が刻まれている。
「紀貫之は、都で生まれ、連れてきた幼子を土佐で亡くされているんだよな。しんどかったやろなぁ。一緒に来た子供が帰りにはいない、というのは……」
「しかし1,000年以上ものあいだ、名を残す紀貫之はすごい。なかなかそんな人おらんやろ。没後1,000年以上が経過してもなお日本中の誰しもが知っている人なんて……」
▲ 舟入川。紀貫之が舟出した当時は、この辺りまで「海」だった模様。
▲ 亀。
▲ 亀発見。
▲ 舟出橋では、このようなカッコイイ写真も撮れます。まあモデルがいいんですけど。
1,000年前の歴史に触れられる「紀貫之 舟出の地」。何かの折にはおすすめです。