道の駅 めじかの里・土佐清水

2012.06.06

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道の駅 めじかの里・土佐清水

2012.06.06

2012!春の四万十ぶらり旅!
『手打ちうどん たも屋 春野店』 → 『四万十へ、新風追いかけて』 → 『UDON KUA'AINA (うどん・クアアイナ)』
→ 『西の西、足摺岬へ』 → 「道の駅 めじかの里・土佐清水」 → 『足摺海洋館』 → 『竜串海岸』 →
『グッバイ!土佐清水!』 → 『いろりや 肉醤油うどん & 力豚のカレーうどん』 → 『番外編』


「足摺サニーロード」・・・。

道路標識に書かれた道の名称が目に入ったとき、
フッと私の中にあった幼少の記憶が蘇ってきた。

<この道を、昔・・・オカンが運転して走ったな・・・!>

後部座席には、小学生の私と妹が乗っていた。
そして助手席には、香港に住んでいるという色の白い中国人の男性が座っていた。

彼はオカンが香港に旅行に行ったときに知り合った人だと言い、
片言の日本語を話していた。

妙な誤解があるといけないから、記述しておくが、
彼は私のオカンとなにか密接な関係があるわけではない、ということは、
幼少の私にも雰囲気から察してわかったし、今思い起こしても同様だ。

当時から、「日本人でも中国人でも同じ人間だろ?」
と、大変にドライな感覚を持っていた私は、
異国からの来訪者に多くの詮索はせず、深く考えなかったのだけれど、今になって思う。

彼は、もしかして、私が憧れる"バックパッカー"と呼ばれる旅人だったのか・・・!

記憶を掘り起こしまくると、バッチリ重々しいバックパックを背負っていた気もしないでもない。
いや・・・ちょっと小さめのバックパックを軽やかに背負っていた気もする・・・。

とにかく、今になって当時の記憶を辿って呼び起こしてみると、
私もずっと前から、それこそ十代の頃から、
バックパックを背負った旅に出たいと夢に見ているので、本当に羨ましい。

昼下がり、うす曇りの「足摺サニーロード」を走りながら、
人生の数時間のみを共有した彼は、今どこで何を生業にして生きているのだろうと思い馳せるが、
もはやすべては謎であり、あるいは、オカンに聞けばわかるかもしれないけれど、

聞いて解を得ようとすれば、今更なぜ私がその中国人に興味を持っているのだということになり、
世界を股に掛ける、あるいは、世界を股に挟もうとしている私の野望がバレかねないので、やはり聞けない。

途中に分岐があったが、直前の道路標識を見落としてしまって道がわからなくなり、
一旦、道路脇に停車。

"iPhone"で地図を確認すると、GPSが現在地を示す印が、
東西に、「かしわ天」みたいに長い高知県のほぼ西端付近を示していて、
すごく遠くまで来たなと思うと同時に、
自分が今現在こんな西の端に実際本当にいるのだろうか、という変な感覚がした。

そして帰路の長さを考えると憂鬱になった。

けれども、それらすべての感慨や憂鬱は、
眼前に現れた、どこかで見た記憶がある建物によって吹き飛ばされてしまった!

道の駅 めじかの里・土佐清水

<あれっ・・・ここは・・・もしや4月に幻のうどんが降臨した場所・・・!>

道の駅 めじかの里にて
(※ このあと撮影風景を眺めていたオバチャンに、ニッコリ微笑まれる運命にあると、先生はこのときまだ知らない)

『道の駅 めじかの里・土佐清水』

週末、土曜日だったが人影は疎ら。
出来れば食べてみたかったマグロの串焼きを売るオジサンもいず、
トイレに入ったのちに、土佐清水の観光パンフレットを貰って「めじかの里」をあとにした。

土佐清水観光パンフレット

「この壮大な風景をあなたに・・・!」

(つづく・・・!)
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