高知の小学校に通っていた人なら、おそろく社会科の授業で習ったはずである史跡「山田堰」。
「山田堰」とは……。
かつて土佐藩執政だった「野中兼山(のなかけんざん)」が水田に水を引くため、寛文4年(1664年)、高知県香美市土佐山田町の「物部川(ものべがわ)」に完成させた堰のことである。
学校によっては社会科見学で訪れるという。だがこれまで『山田堰』に一度も行ったことがなかった竜一、不安よぎる。
「俺はこのままでいいのか……」
山田堰に一度も行ったことがないようで、いいのか?
高知県民として、いいのかよ……!
「いいや、よくない。山田堰も知らないようで、生粋の高知県民を名乗れるはずがない!」
俺は、いま、山田堰にゆく!
「ここが山田堰……?」
じつは竜一、このとき『山田堰』の大まかな場所はわかっても、正確な場所を知らない。
到達したのは、高知屈指の人気うどん店『まるしん』店先の歩道橋がある交差点を南に入った地点。
▲ 大岩!発見!
「山田堰ナンタラと書かれた石がある。読めないけれど、きっとここが山田堰に違いない……」
▲ 流れる水!圧倒的水量……!
「思ったよりも幅が狭い。オリンピックの『走り幅跳び』に出場できる次元の人ならば、おそらく飛び越えられる川幅だ……」
案外、ショボいな山田堰……。
▲ 脇に立っていた看板で、しばし歴史の勉強……。
それを読んでいた竜一。違和感を覚える。
「おかしくね?山田堰の工事には26年もの年月を費やしたと書かれている……」
この川幅で「26年」はないだろう……。
「土佐の偉人、野中兼山が、この川幅に対して堰をこしらえるのに、26年もかかるほど仕事のできない人であるはずがない……」
竜一の違和感は、やがて確信へと変わる。
もしかして、ここ「山田堰」じゃない?
「碑があったりするから、山田堰に何か関係している場所なのかも知れないけれど、少なくとも"山田堰本体"ではない感じがする……」
当初の地点から、さらに東進してみる。
▲ また「山田堰」と書かれた碑があった。
「ええ?どういうこと……?」
山田堰、いっぱいある?
▲ 小さい碑の脇には、大きな碑がある。
碑と碑が、親子みたいだね。
「仲良く並んでらぁ……」
だが、謎は深まるばかり。
「ここも山田堰って感じじゃないな……」
どこにあるんだよ!山田堰!
碑だけ、やたら建ちまくってんだけど!
発狂寸前に陥りながら、すぐ東側にあった一級河川「物部川」へとフラフラ歩いていく。
▲ 物部川の脇には、広場があった。
広場では、小学生に見える子供たちが走り回って遊んでいる。
「元気だなぁ。俺はその元気があったら、帰って酒が飲みたいよ……」
って……!
ちょっ!待って!
「あれ………」
驚いて、指差す竜一。
▲ これ、山田堰じゃね?
そこにあったのは、間違いなし!
山田堰……!
正真正銘の「山田堰」っ!
▲ 山田堰に設置された看板の記載によると……
約300年にわたって活用され、役割を終えた堰の大部分はすでに撤去済みで、東岸に20メートル、西岸に70メートルだけ、山田堰の歴史を後世に残すために保存されているとのこと。
このとき竜一が立っていたのは、西岸。
▲ さすがは山田堰本体……。
圧倒的!史跡感っ!
「誰が見ても私は史跡ですよ、そんな顔をしている……」
▲ いかにも『堰』!そんな様相の石積み。
さらに石積みの隙間には、コンクリートが詰められている。
「西暦1664年にコンクリートを扱うとは。野中兼山・未来人説が急浮上だ……」
山田堰で記念撮影
▲ 往年の昭和スター風に。
(撮影中、周りにいた知らないおじさんや、子供たちにガン見されてゆきました……)
▲ 山田堰から見た物部川。
「向こう側…東岸に20メートル残されているという山田堰は見えないか……」
山田堰「中井第三水門放水口」
山田堰の見学を終えて帰ろうとしていると、また碑があった。
「碑、多いな!碑、多いね!この辺り、碑だらけだよ……!」
▲ 碑の脇で、謎の穴、発見。
「なんだろう、この穴……」
謎の穴の正体は……!
中井第三水門放水口……!
▲ 碑に書かれていた。
「ああ!あの中井さんの水門か!あんたがあの中井さんか……!」(知らんけど)
▲ それにしても碑がいっぱい。
碑っ!ヒッ!ヒッ……!
「山田堰に来るまで、俺は高知県民でありながら高知県民ではなかった。ここに来て、俺はやっと本当の高知県民になれた気がする……」
それにしても、野中兼山は偉大だ。
「先日の『手結港』にしても、山田堰にしても、高知の水にまつわる場所には野中兼山の仕事あり、だな……」
山田堰(西岸)がある「物部川緑地」の場所。
住所/高知県香美市土佐山田町山田島(地図)