『高知市文化プラザかるぽーと』の長いエスカレーターに乗って七階を目指す。傾斜角が結構きつい。後ろを振り向くとあまりの高さに目まいがした。
今年で六十九回目を迎えるらしいのに恥ずかしい話、『県展』を観に行くのは生まれて初めてだった。何気なく通りを歩いたとき、キンモクセイの香りが私の芸術魂に火をつけたのだ。
しかし私と県展は無縁ではない。『こども県展』での話だが、小学校二年生の頃にクレパスで牛の絵を書いて、「特選」を取って新聞に名前が載ったことがある。
たしかその年の特選は私を含めて県下で二名しか選ばれておらず、親族一同が竜一は天才画家だという勢いで湧きに湧いたが、当時の竜一少年は特選が最も優れた作品に贈られる賞だと知らず、大人たちの盛り上がりの意味がわかっていなかった。
たが翌年以降も毎年、学校で県展応募用の絵を描かされるも、まったく賞に絡むことはなかった。あれはマグレだったんだということで親族一同の見解は一致したようだが、違う。
第一に「俺はまた賞を取らなければならない」という、賞を狙う意識が芽生えてしまったのがいけなかった。それは認めるが、第二に、学校側が強制的に描かせるテーマがよくなかった。学校のせいだ。
事実、「俺は動物の絵が得意なんだ。どうして毎年風景画ばかり描かせるんだ」と当時の天才画家は苦悩していたが、大人たちは風景画を描かせ続けた。いくら天才でも得意なジャンルというものがある。それをまったくわかっていない。素人はこれだから困るのだ。
いまでも動物の絵さえ描けば、いつでもどこでも特選が取れるわけだが、マスコミ各社がこぞって天才と騒ぎ始めるのを想像すると煩わしいので、あえて描かずにいる。天才として生きるより、あえて凡人の道を進む。いわば凡人の皮を被った天才、とでも言うべきか…。
私の才能は絵だけにとどまらず、じつは特選を取った翌年、書道で特選の次にすごい『優秀』を取ったこともある。無論、いまでも筆さえ握れば優秀、本気を出せば特選だって取れるわけだが、これもあえて書かずにいる。
能ある鷹は爪を隠す、と言いましてね。ふぉっふぉ。
そのときだって「俺、賞とか興味ないんで」と、自分の受賞作さえも観に行かなかった芸術の塊である私が、生まれて初めて県展会場に現れたのだ。
受付のお姉さんはもちろん、奥から偉い人が「竜一先生!ようこそおいでくださいました!」などと手をモミモミしながら出てくるかと思いきや、入場料800円を徴収された。まあ仕方がない。西島秀俊を知らない人が稀にいるようなものだ。
会場に入ると、まずは工芸から観て行った。花瓶や皿がたくさん展示されている。
専門外だからよくわからないが、いくつかぶっかけうどんを入れたくなるような皿があった。中でも特選を取った皿は貫録と存在感があり、さすがは特選だと唸った。
続いて彫刻部門。これまたたくさんの像が並べられている。ここで『無鑑査』と書かれた作品があることに気が付いた。どうやら無鑑査は特選を複数回取った人の作品らしい。
像は皆一様に悩ましい表情を浮かべている。笑っている像もあるのだろうか。見当たらない。女体像もある。どうしても乳首に目がいってしまう。
次は書道。これは専門分野だ。こども県展で優秀を取った私の目は当然厳しくなる。
だが読めない。日本語で書いてあるはずなのに、ほぼすべての作品が読めない。漢字一字の作品ですら読めない。
「"おとな県展"では、読めないように書くのがスタンダードなのか!?」
読めないのは作者も承知しているのか、作品の下部には作者直筆と思われる釈文(訳?)が添えられている。その字がもれなく上手い。皆いつでも硬筆教室が開けそうなほどだ。
「毛筆が上手い人は硬筆も上手いんだなぁ」と唸った。
さらに写真部門。当たり前だがたくさんの写真が飾られている。
よく"写真みたいな絵"があるけれど、"絵みたいな写真"が何点かある。それに目を奪われた。
「すごいなぁ、これ」近くで見ても絵みたいだ。
中でも『俄舞台』という作品が印象に残った。その名の通り、にわかに作られた即席の舞台とその舞台に立つ人の足元だけを撮った作品だったが、おそらくは人よりも舞台の木の板を接ぎ合わせた床をメインに撮られていて、これまた「すごいなぁ」と唸った。ここに着眼するとは。
あとはグラフィックデザインを観て『かるぽーと』を出た。時刻は午後二時。どうやら鑑賞し終えるのに二時間ほどを費やしたようだった。
県展の会場は『かるぽーと』と『県立美術館』の二つに分けられており、県立美術館には洋画、日本画、先端美術が展示されているという。『かるぽーと』で800円と引き換えに渡された券で美術館にも入場できるらしいので、その足で美術館にも出向いた。
こども県展で特選を受賞した経験を持ち、天才画家と謳われた私は真剣な眼差しでそれぞれの絵を観て回った。まだ青さの見える作品も多かったが、いくつかの作品は天才画家の心を刺激した。
「なかなかいいけど、もっとこの辺りに明るい色が欲しかったね」などと天才画家はのたまった。「何も見たままを描く必要はないんだ。心の目で見た情景を描いてこそ、絵というものなんだけどね」
学校側に勝手にテーマを決められることもない、いまの私が自由に絵を描けば、特選はもちろん受賞するだろうし、あまりのクオリティに驚愕した審査員が一撃で翌年からの無鑑査を決定するだろう。
しかし私は描かない。
能ある鷹は爪を隠すと言いましてね。
(※県展は10月25日まで開催されている模様です)