ジョーロから滴る水のような雨が降る日だった。
高知市の産業道路沿いにある洋食店『北欧館』の駐車場に車を入れた。
何十年も前から、ずっと人気のあるこの店の決して広くはない駐車場が偶然にも一台分だけ空いていたのは、朝の情報番組の最後で星座別占いの1位に選ばれたときほどの幸運だった。
雨の中を小走りに店内へ。
数年ぶりに来るが懐かしい。子供の頃はオカンに連れられ、この店に週3のペースで通い、仕舞いに店員さんに顔を覚えられ、ちょっとした知り合い状態になっていたりした。
当時から約20年が経った現在においても、相変わらず…いや以前にも増す人気をほこる店で、この日もたくさんの客で賑わっていた。
歩くと靴音がコトコトと響く木の床。茶系で落ち着いた色合いの内装。小さな中庭。何も変わっていない。昔のままだ。
注文を終えると、あらかじめ取って来ていた雑誌を開いた。そのとき気が付いた。
読む雑誌が『週刊少年ジャンプ』から『週刊現代』に変わっている。
店は変わっていないが、俺は変わっているのだ。年月の経過と共に変わってしまっているのだ。
破られた袋とじに女性のヌード写真が載っていた。周囲の八割は女性客だった。<うわっ!>人目を気にして、録画を早回しするように数ページ先へ進んだ。
『北欧館』の名物料理といえば、やはりこれしかない。
『茄子と挽肉のカレー』
それを見ると、杏仁豆腐を食べたときみたいに初恋の気持ちが蘇ってきた。幼少期に好きだった女の子に再会したような気持ちになる。
<久しぶりだね。元気にしてた?>私は『茄子と挽肉のカレー』に語りかけた。
カレー、もとい茄子挽子ちゃんは怪訝そうな表情を浮かべた。
<元気だけど……あんた誰だっけ?>ルーの眉間にシワが寄った気がした。
<え?俺のこと覚えてないの?>
<記憶にないな。なにせアタシはこの店で毎日何人もの客の相手をしてるんだからね>
覚えていないのは無理もないように思えた。あれから長いあいだ彼女は毎日ここにいて、様々な人の顔を見て過ごしてきたのだ。
そうは言っても悲しい。あの頃は二人して結構盛り上がったのに。茄子挽子ちゃんは私のことを気に入ってくれているはずだったのに。
<うぅ…もうキミなんか食べないぞ!目の前に挽子ちゃんがいるのに、食べてやらないぞ!>精一杯の抵抗のつもりだった。
<あら、アタシを指名しておいて食べないの?>
<食べないさ!いままでにそんな客はいなかっただろ。ショックだろ!>
<変な人…>茄子挽子ちゃんはケラケラと笑った。悔しいが笑った顔がまた可愛い。当時よりもいまのほうが、さらに可愛い。
小さな釜を模した器にルーが入れられていて、ぶっかけうどんを入れても良さそうな黒い器に、ごはんと素揚げした茄子が入れられている。そんな姿が、とにかく愛おしい。
<本当は食べて欲しいんだろ?>
<食べて欲しいのは山々だけど、アンタがどうしても食べないと言うのなら仕方がないね>
<俺が食べなくても、別に構わないと?>
<だって、アンタが食べたくないって言ってんじゃん>
<あの日々は何だったんだ!週三で通っていたあの日々は!俺のあの青春を返せよ…!>そう叫ぶと同時に確信した。
あの日の挽子ちゃんは、もういないのだ。
すると挽子ちゃんは静かに口を開いた。
<アンタ…そんなこと言うけど……あの頃、アタシのことなんか滅多に指名しないで、ずっとセットメニューばかり頼んでたじゃない!>
<お腹が張らなかったんだ!当時俺は中学生。弁当屋の弁当を続けて二個も食べるほどの食べ盛り。キミじゃお腹が張らなかったんだ…!>
<酷い!アタシだって毎日精一杯テーブルの上に並んでいるのに!>挽子ちゃんは茄子のあいだから涙みたいにルーを垂らした。
<酷いって、どっちが酷いんだ!俺のことなんかちっとも覚えてないくせに!>口にしてはいけない一言だったと、すぐさま気が付いた。しかし出した言葉は戻らない。
<もういい!アンタなんか、だい………>
言い終わらない内に挽子ちゃんを口に入れた。最初は甘く感じるが、あとから辛さがやってくる。
ずっと変わらない彼女の味だった。
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カフェ&グリル「北欧館」の所在地、営業時間、定休日、駐車場。
- 所在地/高知県高知市和泉町1-13(地図)
- 営業時間/8:00~22:00(L.O.21:30) *15:00〜17:00はカフェメニューのみ
- 定休日/木曜日
- 駐車場/有
- 一人行きやすさ/○ ソファーがある喫茶店風の店内。カウンター席なし。
- 子連れ行きやすさ/○ 座敷などないが、ある程度大人しくしていられるなら…。